〜未来・現在・子ども〜

コロナウイルスの影響により更に深刻化する保育所の現在

 
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小学校・中学校・高校が休校となると休みを喜び都内では昼間から若者が遊び歩いている姿が多く見られるようになってきているようだ。

これは当たり前な光景であり、家での生活に飽き始めた頃には更に若者で街は賑わうのではなかろうか。

そんな中、通常通り運営をしている保育園では保護者に対して登園自粛を促す園もでてきているようだ。それは現場で働くお母さん職員の子ども達が休校措置を取られた事で預け先がなく、休まざるを得ないような状況も出てきているからである。

昭和23年に制定された戦後の基準のまま時は瞬く間に過ぎ、令和時代に突入。そもそも基準ではなく、水準と化してしまった最低基準の職員配置。少し大袈裟かもしれないがこの状態は保育界での慢性的パンデミックとも言えるかもしれない。

今回のコロナウイルスで更に露出された部分かもしれない。保育の現場からは「人手が足りない」「賃金が低い」「大変だ」至極当然の意見。誰でも出来る問題も一時期話題となりましたがあれも社会的に認めてもらえていない立場だからではないか。

「待機児童の増加。政策として子育て・保育事業に力を入れます。受け皿が足りません。よしお金を出すから小規模認可保育どんどん作ってくれ。保育士が足りないです。よし補助手当をつけよう。まだ足りないから企業主導型保育園作ろう。よし少しずつ解消されてきたぞ。でもまだ潜在待機児童だと⁉︎よし幼児無償化だ。なに今度は小規模認可以降3歳児以上の受け皿が足りない⁈よし小規模作るのやめて認可保育園を作るぞ。⇦今ここ」

すごく動いてくれてる感はありますけどね。この様々な事柄の間にも保育所保育指針は改定され、保育の質が問われる時代に突入。子ども主体の保育。個を大切にしよう。

戦後、まだ右向け右の時代の名残ももちろんあるでしょう。その時に決まった保育士の配置基準がいまだに適用され、時代とともに保育の流れも目に見えて移ろいゆく中で、実際に制度上・基準では何も変わっていない。

ただ闇雲に園を作り、場所によっては基準ギリギリで人を集め、ギリギリで子どもを見る。そんな環境の中でなぜ保育の質を求められているのか。そして何より必要なのは保育士が長く同じ場所で定着して働くことで安定した保育、運営を行うことが大事なことではないか。

本質は昔から変わらない。「子ども一人一人を大切にする。」普遍的で当たり前のことであり、永久に変わらない。

変わらなければならないのは社会的認知と制度と保育士自身の覚悟である。決して付け焼き刃の器作りではないはずだ。

コロナウイルス収束後、オリンピックがあり、更にその後に忘れ去られないためにも保育従事者は社会的認知を獲得するためにも現場から出来ることをやり続け、社会や政府に発信し続ける必要があるのではないだろうか。

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